三つ子の魂百まで

こんにちはー!
現在、スパコミの漫画原稿を何とか早割を使って入稿しようと日々原稿を進めております。
でも息抜きに前から思いついていた小説を書こう、ワンドロに参加しよう…などと色々手を付けるので思ったように進捗が進まない、そんな毎日です。
描きたいことも書きたいこともあるので、切実にNARUTOの多重影分身の術が欲しいです。笑

最近友人とゲームしている時に、今までハマったジャンルやキャラクターの話をすることがありました。昔はこんなのが好きだった、とか、そんな感じです。そこで話していて、一つ気づいたことがありました。
私がカップリングにハマる時によくある共通点の一つに、「死に別れ」というものがあります。それが私の性癖という奴です。キャラクターが劇中で死を迎え、彼or彼女がその戦いの中で見せる壮絶な生き様に私は萌えを感じるのです。(大体バトル物を好むことが多いので)

前にブログでも話したことはありますが、刀剣乱舞で好きな兼さんと堀川くんは後世に残ったものと残らなかったものとして別れを経験しています。他に好きなCPも、呪術廻戦のメカ丸と三輪ちゃんであったり、まどマギの杏子とさやかであったりと、劇中で片方が死んでしまいます。
CPではなく単体で好きなキャラも、例えば機動戦士ガンダムOOのロックオン、呪術廻戦のナナミン、鬼滅の刃の煉獄さん、進撃の巨人のサシャと大体作中で壮絶な死を遂げています。(そもそも私が好きな作品の作風はキャラクターが死にやすい、ということもありますが)
私は自分がキャラクターの「死」に対して悲しみと共に萌えを感じるタイプの人間であることは自覚していましたが、それが一体いつ頃から始まったのか、ということはあまり意識していませんでした。

そこで今回の友人と話をしている時に、思い出したのです。私が一番最初にキャラクターの死に衝撃と、それでいて感動を感じた瞬間を。あの時私が何歳だったのか正確には覚えていませんが、確実に言えることは小学校に通う前でした。そんな幼い私の心を震わせたのは、「美少女戦士セーラームーン」というアニメでした。
言わずと知れた超有名作品なので語るまでもないですが、戦う女の子という一大ムーブメントを巻き起こした武内直子先生の名作漫画、およびそれを元にしたアニメです。アニメ放映から30年経った今なおアニメやグッズ、コラボなど様々な展開がされているので、世代じゃなくても名前を知ってる方は多いと思います。
私は世代で言うとその少し後のおジャ魔女どれみ世代なのですが、歳の離れた姉がいるので家にあったVHS(若い人からしたら何それって感じでしょうが、今でいうDVDやブルーレイです)で一緒に観ていました。

ご存じの方はああ、あのお話か!となると思いますが、そのセーラームーンのアニメの第一期、最終回の一話前の第45話。その回が私に衝撃を与えました。ちなみに、45話のサブタイトルは「セーラー戦士死す!悲壮なる最終戦」です。タイトルで普通にネタバレ!遊☆戯☆王の「城之内死す」といい、昔はタイトルでネタバレし放題ですね。笑
そのお話のあらすじは、セーラームーンたちが敵対する組織・ダークキングダムたちとの最終決戦に挑むというものになります。セーラームーンを除く4人の仲間たちは、彼女を助けるべく敵と戦い、一人また一人と討ち死にしていく。そして、一人生き残ったセーラームーンは、仲間たちの思いを背負って「あたしは一人じゃない!」と一人クインベリル(ラスボス)と向き合う決心をして、この話は終わります。そして次の最終回では、セーラームーンは仲間の力を借りてクインベリルを倒すものの、彼女が救いたかったエンディミオン(セーラームーンの好きな人)が死んでしまうというこれまた衝撃的な内容でした。
その後、死んでしまったみんなは記憶を失って転生した、というのが第一期最終回のストーリーです。

ここで一つ補足したいのは、「美少女戦士セーラームーン」は女児向けアニメであり、そのメインターゲット層は幼稚園~小中学生の女の子でした。このアニメを初めて見た私もおそらく5歳前後です。そんな歳の女の子にとって、大好きなセーラー戦士たちが敵との戦いの末に命を散らす、というのは想像もしていなかった衝撃的な内容です。実際、私は大泣きしたはずです。当時の私はセーラー・ジュピターというキャラが大好きだったのですが、彼女は敵を道連れにして自爆するという壮絶な最期を遂げました。

ただ、私は彼女の死を悲しみましたが、それと同時に感動しました。仲間のために己の命を犠牲にして戦うジュピター、めちゃくちゃかっこいい死にざまです。それは他の仲間たちも同様で、彼女たちはセーラームーンを守るために自分の命を犠牲にすることをだれ一人厭いませんでした。こんなにも気高い精神を持つ女子中学生、半端ないな…と当時の私が思ったかは分かりませんが、私の記憶の中に鮮烈に残るお話となったのは紛れもない事実です。

なので、私がキャラクターの「死」に心を揺さぶられる性癖を持つようになったのは、おそらくこの「美少女戦士セーラームーン」のアニメがきっかけです。つまり、5~6歳の時から現在の年齢に至るまで、私はこの性癖を持ち続けているということになります。私が死ぬまでオタクをやっているかは分かりませんが、2〇年間拗らせ続けた性癖はもう死ぬまで直らない気がします…。笑

三つ子の魂百まで、ということわざが示すように、幼い頃に培ったものは変わらない、それは性癖とて例外ではない、とこの件で思い知らされました。きっとこれからも、私は死んでしまうキャラを愛すのでしょう。だけど、その生き様こそが、何よりもエモいのです……!!