あらしのあとに

ピョー、ピョーという小鳥のさえずりと、ゆっくりと顔を出す朝日の光を受けて、国広はまだ少し重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。澄んだ空気が体を包み、時折吹く風は疲れた体を労うような爽やかな心地がする。
昨日の嵐が嘘のように、気持ちの良い朝の訪れ。本丸の皆はきっとこの朝の陽気を喜び、今日という一日が素晴らしいものになると確信しているに違いない。国広とて、今ここが自分の部屋の布団であればそう思うはずだ。
愛用の紺色の上着はところどころ裂け、泥で本来の色などすっかりわからないほど汚れていた。これは帰ったら歌仙にすぐさま洗濯してもらうことになりそうだ。綺麗好きな彼が闘志を燃やして洗ってくれるだろう姿を想像して、思わず頬が綻ぶ。

昨晩、鬱蒼と木が生い茂る山中にて、国広を含む六人の部隊は時間遡行軍との戦闘になった。夕方からどんよりとした雲が空を覆い、次第に風も強くなってきたことから、今夜は荒れた天候になることは予想できた。
しかし、だからと言って敵を前にして天気を言い訳にむざむざと取り逃すことはできない。ザアザアと叩きつけるように降り注ぐ雨と、油断すれば飛ばされてしまうほどの突風が吹き荒れる中、各々刀を抜いて敵に斬りかかっていった。
最早陣形など意識することもできず、誰もが目の前の敵を相手取ることで精一杯だった。視界の悪さに苦戦しながらも、次第に状況はこちらが優勢になっていった。
そんな中、相棒である兼定の背後に迫る影を国広は捉えた。凄まじい雨風の音で、兼定は敵の打刀の接近に気付かない。地面のぬかるみに足を取られながらも、国広は懸命に駆けた。
兼定を襲おうとする横腹に思いきり体重をかけて斬りかかったまではよかった。打刀の胴を斬り捨て、崩れるように倒れる様を見て安心した。だから、その先が急斜面になっていることなど、思いもしなかったのだ。
走り寄ったために急に止まることなどできるはずもなく、国広の足は踏み締める地面を失って体ごと落下していく。そのことに気付いた兼定が必死の形相で腕を伸ばすも、あと一寸ほど足りなかった。そのまま国広と共に落ちようと走り出した兼定を、住んでのところで仲間が羽交締めにして止める。
相棒の無事を確かめた国広は、兼定の自分の名を呼ぶ悲痛な叫びを聞きながら、そのまま山の斜面を転がるように落ちていった。暗闇の中、どこまで落ちていくのかも分からず、まるで地獄の底に突き落とされたような頼りない気持ちを抱きながら、国広の意識は途切れた。

そして今、無事に朝日を拝むことができた。幸い大きな木が何本も立ち並ぶ場所で止まって倒れていたため、気絶しながら濡れ鼠になることは避けられた。
転がりながらあちこちをぶつけてしまったため、体中に鈍い痛みを感じる。立ちあがろうとすると、途端に腹に激痛が走った。肋骨が何本か、折れてしまっているようだ。
立ち上がることができないならばと腹這いで腕を動かしてずりずりと移動するも、慣れない動きに体は徐々に重たくなっていく。流石にこの状態で仲間を探すことは難しいと判断した国広は、大人しく仲間の助けを待つことにした。
ジクジクと体を蝕む傷の痛みが、国広の思考を悪い方へと運んでいく。このまま彼らが自分を見つけるより先に、昨晩の遡行軍の残党にでも見つかってしまったら――。今の自分にとどめを刺すことなど、赤子の首を捻るよりも容易いだろう。
ふと視線を落とすと、目の前に大きな水たまりがあることに気付く。水面に映る国広の顔は、いかにも不安そうな心もとない表情を浮かべている。
ピチョン、と葉の先から落ちた水滴が、水たまりに落ちては波紋を作る。その度にじわりと歪んでいく自分の姿は、今の心の内を表しているようで。
堪らなく、心細くなった。水面でぐにゃりと歪んだ自分は、このまま消えてしまうのではないか。腹の奥が重石でも抱えたかのように、苦しい。

(――一人は、寂しいよ)

そんな弱気が声に出てしまいそうになった時。水たまりを叩く水の粒が止み、国広の姿が元の形を取り戻した時。
その後ろに、息を切らせながら国広を見つめる人が映った。安堵の息をつくと共ににっこりと笑うその顔は、国広が世界で一番好きなものだ。
今しがたこの水面を見て不安を感じていたのが嘘のよう。そこに映る相棒の笑顔は、たちまち国広の胸を覆っていた暗い気持ちを一息で吹き飛ばしてくれた。
「悪い、遅くなっちまったな」
目の下にうっすらと残る隈から、彼が夜通し国広を探してくれたことが伺える。その思いやりがこの上なく嬉しくて、思わず鼻の奥がツンと痛んだ。
「ありがとう、兼さん。僕のこと、見つけてくれて」
「当たり前だろ。お前はオレの相棒なんだ、どんなに離れようが必ず見つけてやるよ」
国広の体を労わるようにそっと抱き上げる腕の温もりが、何より心地よくて。痛みも忘れて、国広は兼定に抱きついた。