「ただいまー。今日も収穫なしだったよ」
「おう、大和守。お疲れさん」
「それは残念だったな。まあとにかく無事に帰ってこれたのだ、今はゆっくり休め」
第一部隊で出陣していた安定くんが帰還し、いつものように少しだけ残念そうに眉を下げながら報告をしている。そんな彼に、兼さんや長曽祢さんが労いの言葉をかける。もう何度も見た光景だ。
収穫、というのは時間遡行軍との戦闘そのもののことじゃない。主さんの指揮の元、僕たちはいつだって大なり小なりの成果を上げて帰ってくる。主さんの抜群の統率力と、自分達の日頃の鍛錬でいた剣技が合わさればそこまで難しいことではない。それだけの力が、この本丸にはある。
彼らが話している収穫とは、僕たちの元に現れるはずの仲間のことだ。現在、僕たちの本丸には五十振りを越える刀剣男士が顕現し、戦いながら共に暮らしている。平安の刀から僕たち幕末の刀まで様々な時代の刀が顔を揃える中、いつまで経っても現れない、僕たち新撰組の昔馴染み。
……加州清光。安定くんと共に新撰組一番隊組長・沖田総司によって振るわれた刀だ。顕現可能な刀剣男士のリストには、彼の名前も僕たちと共に記載されている。にも関わらず、本丸勃興から一年近く時が経とうとする中で一度も清光くんは現れない。何故か彼だけが、鍛刀でも出陣先でも見つけられないのだ。
もちろん、安定くんはすぐに主さんに相談した。でも、その主さんにも原因は分からないみたいだ。清光くんは、沖田さんに最後まで振るわれた刀ではない。池田屋事件の折、激しい戦闘の末に清光くんの刀身は折れてしまった。それが原因なのかもしれないと考えてみたけれど、この本丸には焼けて消失してしまった刀だっている。何より僕自身が、歴史の流れに呑まれて消えていった、所在不明な刀の一人だ。そんな僕でもこうして顕現しているというのに、清光くんだけがいない。その理由が、いくら考えても思いつかなかった。
それでも、僕たちは諦めてはいない。いつかは清光くんに会えるんだって、そう信じて出陣先で彼が顕現しないか、鍛刀で呼び出せないかと試行を繰り返している。今のところ、成果はゼロだけど。可能性は、ゼロではないはずだから。
でも、僕は思う。今のように闇雲に探すだけでは、彼に会えないんじゃないかって。何となくだけど、彼が姿を見せないのには、何か理由があるように思えてならない。その根本的な原因を解決しない限り、事態は前には進まないんじゃないか。そういう気持ちが、日に日に強くなっている。
これ以上、仲間たちの寂しそうな顔を見たくない。それに、何より清光くんを一人顕現することなく死したままの状態にさせたくない。
気がつけば、主さんの部屋の前まで来ていた。控えていた近侍の前田くんが、どうしたんですかと声をかけてくれたので返事をしようとするよりも早く、部屋の中から声がかかった。
「堀川だね。遠慮はいらないよ、入っておいで」
前田くんに軽く礼をしてから、扉を叩いて失礼しますと声をかける。静かに戸を開けた先には、穏やかな笑みを浮かべた主さんが座ってこちらを見ていた。
「さあ、座って。私に何の用事かな?」
「ありがとうございます。……その、お願いがあります。清光くん、いえ、加州清光がこの本丸に顕現しない原因をもう少し詳しく調べさせて頂けないでしょうか?」
「……なるほど。堀川は、闇雲に鍛刀や出陣先で探すのではなく、原因を解明する方が早いと思っているんだね」
「はい」
「……うん、そうだね。これだけ時間が経っても現れないということは、何か原因があるのだろう。それを調査するのは賛成だよ。私も加州にこの本丸に来て欲しいと思っているからね」
「本当ですか!」
「ああ、もちろんだとも。……早速だけど、今から堀川には一人で幕末へと飛んで、加州の様子を見ながら原因を探ってきてもらいたい。任せてもいいかな?」
「……僕、ですか?しかも、一人で」
もちろん、嫌ではない。だけど、一緒に清光くんのことを一生懸命探している安定くん、兼さん、長曽祢さんたちを差し置いて僕だけが調査に向かうのは、どうなのだろう。……それに、僕に分かるだろうか。清光くんのことなら、やはり同じ主に仕えていた安定くんの方が理解できるのではないかと思ってしまう。
「堀川、お前の考えていることは分かるよ。他の三人だって行きたいと思っているだろうし、自分より大和守の方が加州のことを理解しているだろう。それなのになぜ自分一人で、と」
「……さすが主さんです。おっしゃる通りのことを考えていました」
「私はね、それも含めて堀川がいいと思っているんだ。大人数を送れば目立ってしまう。そしてその分だけ、本来の歴史に影響してしまう可能性が高まってしまう。今回のことは、政府の指示ではなく私の独断で派遣しているから、大っぴらには動けないんだ。それを考えると、一人で行ってもらいたいと考えている。新選組の内情をよく知っていて、他人の感情の機微に敏感。隠密力も申し分ない。君以上に適任な者はいないと、私は思うよ」
「お考えを聞かせて頂きありがとうございます。確かに、歴史への影響や独自の調査ということを考えると、一人で向かうのが妥当ですね。……ご期待に応えられるように尽力します」
「ありがとう。でも、くれぐれも無理はしないで欲しい。何か一つ新しい情報を得られるだけでも十分さ。深追いしすぎたと思ったら、迷わず戻っておいで。万一時間遡行軍が現れた場合は、即刻退却すること」
「はい、承知しました」
「健闘を祈っているよ。判断に迷ったら、いつでも遠慮なく連絡しておいで」
「ありがとうございます。それでは、行って参ります」
主さんに深々とお辞儀をすると、足早に自室へと向かう。手早く装備を整えて、己の本体である刀を握り締める。一人で過去へと飛ぶのは初めてだ。いつも頼っている仲間の手は借りられない。全てが、僕自身の行動に賭かっている。そう思うと、少し腹の奥が重たく感じられてしまい、慌てて深呼吸する。――大丈夫だ、僕ならやれる。偵察は脇差の得意分野だ。行き先は己の勝手知ったる時代な分、状況も把握しやすい。気負いすぎなければ、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせるように呟くと、僕は転送ゲートに手をかけた。
*
元治元年(一八六四年)、春――。桜が満開を迎えようとする季節に、僕は京都の地に降り立った。壬生寺に程近い、新選組の屯所。常日頃から人の出入りが激しく、そこかしこから鍛錬に励む若武者の声が聞こえてくる。余りの懐かしさに感傷に浸ってしまいそうになるけど、ぐっと堪える。そうだ、僕は昔を懐かしみにここに来たのではない。加州清光。彼が刀剣男士として顕現しない理由を、探りに来たのだ。
屋根の上に登り敷地内の様子を伺う。清光くんに接触するのが最優先事項だけど、何よりも大事なのは「この時代の僕と出会わないこと」だ。当然、この時代には刀の付喪神として土方さんに付き従う「堀川国広」がいる。彼に僕の姿を見られれば、あるいは他の付喪神たちに付喪神の「堀川国広」とは全く別の、しかし同じ姿形を持つ僕の存在に気づかれてしまえばその時点で任務失敗だ。正しい歴史に干渉してはいけない。それが、刀剣男士にとって守らなければいけない絶対の「掟」なのだから。
どうやら、近藤さんと土方さんは外に出ているようだ。隈なく観察したが、彼らの姿は邸内のどこにも見当たらない。つまり、今なら長曽祢さん、兼さん、この時代の僕と遭遇する危険はない。そして、沖田さんは道場で竹刀を手に隊士たちに稽古をつけている。清光くんの刀身は安定くんと共に沖田さんの私室に立て掛けられいて、彼自身は縁側に座っている。その傍らにいる安定くんは、沖田さんがいなくて退屈なのか昼寝をしている。どうやら、いきなりまたとない絶好のタイミングを引き当てたようだ。
かつての自分と同じ新選組の羽織を纏って、ゆっくりと清光くんに近づく。何百年ぶりに見る、清光くんの顔。舞い散る桜の花びらを追う赤い瞳は、しまい込まれた記憶の中の彼と何一つ変わらない。少しだけ鼓動が早くなるのを感じながら、僕は勇気を出して清光くんに話しかけた。
「桜、綺麗だね。付喪神になってもう大分経つけど、これだけは何度見ても見飽きないな」
「ん、そーね。すぐに散っちゃうとこも含めて、綺麗だと思うよ。……あれ、堀川」
「どうしたの?」
「お前、土方さんに付いて見廻り行ってるんじゃなかったっけ?もう戻ってきたの?」
……しまった。清光くんに話しかける好機だと思って来たのはいいけど、その言い訳を考えるのを忘れていた。当然、清光くんの言う通りこの時代の僕は土方さんに付き従っている。つまり、本来ここに「僕」がいるのはおかしいことなのだ。清光くんが疑問に思うのも、至極当然という訳だ。下手な嘘はつけない。その場しのぎの嘘は、後で付喪神の僕が帰ってきた後にバレてしまう可能性が高い。……さて、この状況、どうしようか。
「おーい、俺の声聞こえてる?」
「あっ、うん、もちろん……」
「門の方が騒がしくないから、まだ帰ってきたってわけじゃなさそうだね。……ってことは、今日は堀川も留守番なの?珍しいね」
「え、えーっと……留守番じゃないよ、僕だけ先に帰ってきたんだ」
堀川国広は土方さんと出かけているわけだから、留守番していることを認めてはいけない、と咄嗟に出てきた嘘は、我ながら下手くそなものだなと思う。でも、これしか思いつかなかった。
「堀川だけ先に?なんで?」
「その、忘れ物をしたんじゃないかってことで確かめに帰って来たんだよ。でも、探したけど土方さんの勘違いみたい」
「ふーん、それはご苦労様だね。んで、こんなとこで花見してていいの?土方さんのところに戻るんでしょ」
「う、うん。でも、せっかく桜が綺麗だから、ちょっとくらいはいいかなと思って」
「へえ、真面目な堀川がめずらしー。まあでも土方さんには和泉守も側にいることだし、ちょっとくらいいいんじゃない?」
「そうだね。隣、座ってもいい?」
「どーぞ」
桃色の花弁が舞い散る中で僕の方に微笑む清光くん。その顔を見ていると、何故だか心がざわつく。時折自分の近くに舞い落ちる花びらを掴み取ろうとして、上手くいかないとちょっとむくれる顔も。何度か挑戦してようやく一枚を手のひらに捕まえた時の無邪気な顔も。できることなら、ずっと見ていたい。そう、思った。
彼は、この先に起こることなど知らない。もうすぐ、己が死ぬことを知らない。大切な主に添い遂げることなく朽ち果てることを、知らない。刀剣男士として再び生を受けることができるはずなのに、死の眠りに囚われたままであることを、知らない。
そんな清光くんのために、僕は何ができる……?主さんは、無理はするなと言った。何か一つ新しい情報を得られでもすればいい、と。でも、それは嫌だ。こうして清光くんに会って、より一層想いは強くなった。もう一度、今度は刀剣男士として、彼に会いたい。
「堀川」
「……ぁ、ごめん、何かな?考え事してた」
「なんか難しい顔してたね。悩みでもあるの?」
「ううん、そんなことないよ」
「本当に?」
じいっと見つめてくる瞳が、あまりにも無垢なものだったから。心の内を見透かされてしまうかも、なんて馬鹿なことを考えてしまい、思わず視線を逸らしてしまった。清光くんは、そんな僕のことを訝しげに見ていた。絶対何か悩んでいるだろう、とその視線が語りかけてくる。でも、本当のことを言う訳にはいかない。僕と清光くんの間に、無言の時間が訪れる。
しばらくそうしていたが、仕方ないなと諦めてくれたらしく、彼は花びらを手に何やら作り始めた。赤い指先が、細やかに動く。
数分の後、再び清光くんは僕に視線を向けた。そして、はいと手のひらにちょこんと乗ったものを差し出してくる。
「……これは?」
「花で作った指輪。知ってる?願い事を込めて小指につけるとね、それが解けたら願いが叶うんだって」
「初耳だよ」
「じゃあ、ちゃんと覚えててね。はい、小指につける。……うん、ぴったり。しかも可愛い。俺って天才かもなー」
「いいの?僕がもらっても」
「いーの。ほら、ちゃんと願い事決めた?大事にしてよね、俺のお手製なんだから」
「……うん。ありがとう、清光くん。大事にするよ。願い事が叶ったら真っ先に教えるね」
「えへへ、ようやく笑った」
「えっ?」
「さっきから深刻そうな顔してるから。どうやって崩してやろうかなって考えてたんだよ」
悪戯っぽく笑う清光くんが、眩しかった。僕が君のことを助けに来たはずなのに、これじゃあ立場がまるで逆だ。
「……清光くんには敵わないな」
「まあねー。ほら、明るい顔できるようになったんだし、そろそろ土方さんのとこ戻りな?あんまり遅いと怒られても知らないからね」
「うん、そうする。ありがとう、清光くん。またね」
「行ってらっしゃーい」
ゆらゆらと手を振って見送ってくれる清光くん。本当はもっと一緒に話したいのだけど、これ以上時間をかけると本当に土方さんと僕が戻ってきてしまうかもしれない。僕がここに来た目的を、履き違えてはいけない。僕は、歴史に干渉することなく、清光くんが刀剣男士として現れない原因を探るためにやって来たのだ。仲良く話をしている場合じゃなかった、のに。
彼が隣にいると、そんなこと全て忘れてしまいそうになった。一緒にいるだけで、嬉しかった。ごめんなさい、主さん。長曽祢さん、兼さん、安定くん。次の機会こそ、手がかりを掴んでみせるから。今回だけは、どうか許してください。
そう心の中で懺悔しながら、ぐっと拳を握りしめた。小指に嵌められた花輪に、願いを込める。必ず清光くんを本丸に連れて行きたい、と。
それからしばらくの間、僕に再び清光くんと接触するチャンスは訪れなかった。新選組は徐々に勢力を拡大して忙しくなっていたので、彼が刀として活躍する時間も増えていった。沖田さんの側に仕える清光くんの邪魔はしたくなかったし、土方さんと沖田さんが行動を共にする間は、この時代の「堀川国広」がいるので僕から会いに行くことはできない。そうなると、僕は黙って見守ることしかできなかった。
もちろん、手をこまねいて見ていただけではない。注意深く、観察を続けていた。清光くんと僕たち四人、何が違うのかと。何か違いを見つければ、それが本丸に顕現できない鍵になるかもしれないと、影から付喪神たちの様子を伺った。けれど、観察すればするほど、分からなくなっていった。普段の行動に、清光くんだけ特別何か大きな違いがあるかと言われれば、答えはNOだ。
主のことを慕っているのは全員そうだし、力になりたいと常日頃から側に仕えている。新選組に対する愛情だって、みんな持っている。付喪神の仲間たち同士、互いの存在だって大切に思っている。じゃあ、一体何が違うって言うんだ?何が、彼を刀剣男士になるのを妨げているって言うんだ?
正直、八方塞がりに近かった。主さんに報告の連絡は続けていた。僕が手こずっていることを感じたのだろう、一度本丸に帰ってきてもいいんだよ、と声をかけてもらった。けれど、僕はその申し入れを断った。ここで帰りたくない。帰ってはいけない。何故か、そう思えてならなかった。
皆が寝静まった夜。昼間は騒がしい屯所も、しんと静まりかえっている。僕は、廊下を歩いていた。最近は、何か手がかりを掴めないかと夜のうちにあてもなく屯所の中を調べたりするのが日課となっている。幸い、付喪神たちも夜は主の傍らで休んでいるから、見つかる心配はない。万一見つかっても、この時代の堀川国広のふりをして少し夜風に当たりたかったんだと言い訳すれば納得してもらえる。……相手が、僕自身でさえなければ。
その夜、僕は少しばかり気が緩んでいた。手がかりが掴めないことに、少し疲れていたのかもしれない。調査を中断して、軒先に座り込む。桜はすっかり散ってしまい、間も無く梅雨がやってくるだろう。
……池田屋事件。運命の日はそう遠くない。清光くんの刀としての生が終わる日。それまでに何も分からずじまいなんてことには、なりたくない。何のために、ここに来たんだ。しっかりしろ、堀川国広。お前は、仲間を代表して、清光くんを助けに来たんだろう?諦めるな、諦めるな……。
「夜ふかし付喪神みーつけた」
ハッとして振り返る。そこには、清光くんが立っていた。久しぶりに、近くで見る顔。思わず泣きそうになったのを、ぐっと表情筋に力を入れて堪えた。
「見つかっちゃったね」
「なーにしてんの?」
「眠れないから、少し夜風に当たってたんだ」
「ふーん」
清光くんが、静かに僕の隣に座る。片膝を立てて両腕を膝に乗せながら、じいっとこちらを見つめてくる。見られている方の頬が、ほんの少し熱くなるのを感じた。
「あっ、ちゃんとつけてる」
「え?」
「俺があげた花の指輪。ほら、堀川って普段は籠手つけてるから、小指よく見えないじゃん?ちゃんとつけてて感心感心」
「当然だよ。清光くんが、僕のために作ってくれたんだもの」
「でも、まだ解けてないってことは、願い事は叶ってないってことかー」
「そう簡単には、ね」
「まあそうだよね。でも、安心しなよ。俺が力込めて作ったんだから、絶対大丈夫」
「……そうだね。辛いことがあっても、この指輪を見ていると元気をもらえるんだ。清光くんのおかげだね」
「……堀川ってさ、たまに凄いよね。恥ずかしげもなくさらっとかっこいいこと言えるっていうか」
「ええっと、そうでもないと思うけど」
「いやー、どうかな?きっと堀川が人間だったら、さぞ女の子から人気者になるだろうね」
「そ、そんなことないって。清光くんの方が、かっこいいし」
「ほー、お目が高いね」
上機嫌で笑う清光くんは、いつもと変わらない。一体何が、僕たちと彼で違うというのだろう。こうして接していても、それだけがまるで分からない。
「……ねえ、清光くん」
「んー?」
「清光くんは、何か悩んでることはないの?」
「いきなりどうしたのさ」
「ほら、前に僕にこの指輪をくれたでしょ?僕にも、何か力になれることがあったらって思って」
「なるほどね。気持ちは嬉しいけど、別に悩みなんてないなー」
「そっか。……すごいね、清光くんは」
何か手がかりを得られたらと思ってした質問だったが、不発だったらしい。本人に聞いても収穫なしとなると、いよいよ手詰まりだ。どうしたものかな……。
「でも、怖いことはある」
「え?」
「俺、今すごく幸せなんだよね。だってさ、俺は刀じゃん?刀は、人間に振るわれて活躍するからこそ価値があると思うんだよね。可愛がられてるなって、感じるから。だからさ、もしそれができなくなったら俺にもう価値はなくなっちゃう、そうなることが怖い」
「……」
「俺たちは、モノだから。使い続ければ、いつかは壊れてしまう。永遠には存在できない。……折れたりしちゃったら、その時点で俺はただの鉄屑になっちゃうんだよね。そうなったら、価値がなくなっちゃうんだ。道端の石ころと同じになっちゃう」
「……折れるのが怖い、ってことだよね。それは僕だって、ううん、みんなそうだと思うよ」
「折れることが、っていうよりは、価値がなくなるのが嫌なんだ。その瞬間、俺の存在価値がまるっきりなくなっちゃうから」
「たとえ折れたって、清光くんのことを沖田さんや僕たちは忘れない。だから、清光くんの価値がなくなるなんてことにはならないよ」
「どうかな。俺は、刀としても安い方だし。たとえ沖田くんが俺がいなくなった後も活躍したとして、俺の名前は残らない。忘れ去られるだけだよ」
「そんなことないよ!」
気づけば、声を荒げていた。急にどうしたんだと目を丸くして僕を見る清光くんには申し訳ないけど、分かってしまった気がする。なんで、清光くんだけが刀剣男士になれないのか、その訳が。
折れるのが怖い、それはさっき僕が言ったように、みんな心のうちに抱えている感情だ。でも、その理由はそれぞれ違う。主の行く先を見れないから、自分という存在が消えてしまう未知の恐怖があるから、もっと刀として活躍したいから。
でも、折れる=価値がなくなる、という考えの刀は僕たちの本丸にいるだろうか。あまり深く考えたことはなかったけど、すでにこの世に存在しないにも関わらず呼び出された自分を含む刀たちは皆、もう一度戦うことができるのだと喜んだ。自らの生を実感し、その思いを力に変えて戦っている。
……だけど。折れたらそこでおしまい、価値のない鉄屑だと、そう思っている清光くんは。もしかすると、顕現することを無意識のうちに拒否してしまっているのかもしれない。もう自分には刀としての価値がないのだから、刀剣男士になどなれるはずもない。そんな悲しい想いを死の闇の中で抱えたまま、眠り続けているのだとしたら。……そんなの、寂しすぎるじゃないか。
「清光くんはすごい刀だ。沖田さんの元で、今までたくさんの敵を相手にしてるのに一度も負けたことがない。そんな刀が、忘れ去られるはずないよ」
「……励ましてくれるのは嬉しいけどさ。堀川も、長曽祢さんも、和泉守も、安定も。俺より値打ちのある刀じゃない?だから、俺の気持ちなんて分かりっこないよ」
「それは……」
「でも、ありがと。話聞いてもらって、嬉しかったよ。じゃあ、俺はそろそろ休むから。おやすみ、堀川」
「……おやすみ」
清光くんの背中が、段々と遠くなっていく。そのどこか物悲しさを感じる背中にかけるべき言葉を探しているうちに、彼は去っていってしまった。己の情けなさが身に染みて、もうすぐ六月だというのに肌寒さを感じた。
それから、僕は何度か清光くんに接触する機会を無理矢理にでも作っては彼をさりげなく説得しようと試みたけど、全て失敗に終わってしまった。もうその話はいいよ、堀川がそう思ってくれているならそれでいいよ、そう言われて話を切り上げられてしまう。僕だって、清光くんがあまり話したくないことにできるなら触れたくない。でも、それで清光くんの未来を変えられるというのならと心を鬼にした。
けれど、駄目だった。いくら語りかけても、平行線のように交わることはない。焦れば焦るほど、事態は膠着していくばかりだ。そうこうしているうちに時間は無情にも過ぎていき、あっという間に池田屋事件の日を迎えてしまった。
このままでは、清光くんは本丸に顕現できないままだろう。彼の考えを変えようという試みは、残念ながら何度やっても上手くいかなかった。だったら、僕に残された道は。考えたくない方法が、ついに頭の中を占めていく。
……清光くんが、池田屋で折れなければ。彼はその後も沖田さんと共に最後まで戦うことができるかもしれない。折れないで、刀のまま二二〇五年を迎えることができるかもしれない。そうなったら、本丸で清光くんと会うことができるかもしれない。
僅かに残された希望。だけどそれは、歴史を改変するということに他ならない。その手段を取ってしまえば、僕は刀剣男士ではいられない。討つべきはずの敵、時間遡行軍と同じ存在へと堕ちてしまう。……でも、僕の犠牲で清光くんを助けられるなら。ぐるぐると考えが渦のように頭の中で回り続ける。ここで悩んでいたところで結論は出ない。ひとまず、隊士のふりをして池田屋に行こう。そこで、僕がどうしたいのか。己の素直な気持ちに最後は委ねよう。そう思い、僕は新選組の隊服に身を包んで屯所を後にした。
生ぬるい風が肌を掠める、夜。池田屋の屋根の上から、通りの様子を伺う。討幕の勢いが増し、治安が悪化した京都の町。夜に出歩く人はまばらだ。当然といえば当然だろう。この動乱の時代は、闇討ちも暗殺も、何でもありだ。そういう時代だからこそ、僕は活躍できたのだから。巻き込まれたくない人間は、決して夜に不用心に出歩いたりはしない。夜に外を彷徨くのは、命知らずの侍たちばかりだ――。
通りの向こうから、見慣れた一団がやって来るのが目に入る。揃いの隊服に身を包んだ、壬生の狼・新選組の登場だ。攘夷志士たちの集会の情報を得た彼らは、浪士たちを掃討・捕縛するべく今日この場にやって来た。当然、その中には一番隊組長・沖田総司がいる。愛刀・加州清光を携えて。
傍に寄り添う清光くんの表情は、遠くから見ても分かるほど高揚していた。主と共に戦える、そのことが誇らしい。そんな顔をしている。……これから自分を待ち受ける運命も知らずに。無邪気な彼の姿を見ているのが、辛かった。
池田屋の前で、彼らの足が止まる。建物を取り囲むように布陣すると、近藤さんや沖田さんを始めとした数名が屋内へと駆け出した。屋根から音を立てずに降り立った僕も、見つからないように気配を消してその後に続いた。
僅かな明かりが灯るだけの室内。怒号や走る足音が響き渡る。キン、と剣戟の音がする方へ走る。そこには、加州清光を手に戦う沖田さんの姿があった。彼と睨み合う敵の間に、緊張が走る。加勢するべきか逡巡し、僕は腰に差した刀に手をかけた。
一瞬の後、先に動いたのは敵の方だ。掛け声と共に振り下ろされる刀。けれど、その刃が沖田さんに届くことはなかった。目にもとまらぬ突き。それは三段突きと呼ばれる、彼の最も得意とする剣術だ。あっという間に敵の喉を貫いた加州清光は、血に濡れてもなお美しかった。しなやかな強さと美しさが同居する清光くんの刃に、僕は戦場だというのに見惚れてしまっていた。血を拭う間もなく、沖田さんと清光くんは次の相手との戦闘を始めている。
清光くんは、今を生きている。一生懸命、命を燃やして戦っている。そんな彼の運命を、僕ごときが変えてしまっていいのか?……いいわけない、よね。沖田さんも清光くんも、精一杯今を、一瞬一瞬を生きているのだ。そんな彼らを待ち受ける運命がいいものだとか悪いものだとか、誰にだって口出しできる権利はない。人の、刀の一生は、自分で決めるものなんだから。
僕は、抜きかけた刀を鞘に戻した。沖田さんは複数の敵を相手取っている。清光くんと敵の刀が打ち合う度に、小さな火花が散る。それを僕は、静かに見守っていた。何度かの打ち合いの末に、清光くんの刀身が折れた瞬間も。僕は、黙って見守っていた。
呻き声をあげて、清光くんが倒れる。その体は、少し透けていた。彼の元へ素早く駆け寄ると、僕はその体を抱き止めた。
「……っ、堀、川……?何、で、こんなとこに……?」
「……清光、くん」
「……堀川と、話してた通りになっちゃったね。俺は、これでおしまいだ」
瞳を潤ませながらも眉間に力を入れて死の覚悟を決めた様子の清光くんを前に、僕は語りかけた。
「聞いて、清光くん。君はここで終わる存在じゃない。君と沖田さんの活躍は、後の世まで語り継がれる。動乱の世で必死に戦った君たちの生き様は、何百年経っても忘れられたりなんかしない。……だから、ね。清光くんはここで死んでしまっても、活躍できるんだよ。いずれ、刀の付喪神の力が必要になる時代が来るんだ。……僕は、その時代からやって来たんだよ。君を、助けたくて」
「……何、それ。どういう、ことさ」
「僕は、今の時代を生きる刀の付喪神じゃない。今から数百年後の未来からやって来た、人の身を得た刀剣男士・堀川国広なんだ。……黙っていてごめんね。でも、本当のことなんだ。信じて欲しい」
「……」
清光くんは痛みを堪えながら、じっと僕の顔を見つめる。僕もそんな彼に想いが伝わるようにと、見つめ返した。少しの静寂の後、清光くんの口の端が緩んだ。
「……そう、いえば。ここ最近、たまに堀川と話したはずのことが通じないことがあったっけ。じゃあ、あれはお前とこの時代の堀川、二人いたからってことか」
「そうなるね。ほら、この指輪。貰ったのは、僕の方なんだよ」
そっと、小指にはまる花輪を見せた。彼の力と愛情のこもった、贈り物を。
「……そっか。じゃあ、本当にお前は、未来から来た堀川なんだね」
「うん。僕のいる未来に、清光くんはまだいないんだ。僕は、もう一度君に会いたい。……だから、清光くん。どうか、ここで君の価値を諦めないで。君の価値はここで終わりなんかじゃない。君は未来でも刀として戦うことができるんだ。……お願い。僕は、待っている。未来で君のこと、待っているから」
ぎゅっと、急速に体温が失われていく清光くんの手を握った。どうか、もう一度この手を握れますように。そう、願いを込めながら。
「……どうして?どうして俺のために、そこまでしてくれるの?」
僕の言葉に少し目を見張りながら、そう問いかけてくる。どうして、か。彼をどうしても助けたいというこの熱い気持ちが何なのか。今の僕なら、言葉にできる。
「清光くんのことが好きだから」
「えっ……?」
「清光くんのことが大好きだから。もう一度一緒に生きたい。……僕が望むのは、それだけだよ」
嘘偽りない本心を、一息で言葉にした。後悔はしていない。たとえ拒絶されたって構わない。気持ちは、言葉にしないと伝わらない時だってあるのだから。
清光くんは少しポカンとしていたが、ゆっくりと頬を緩めて微笑んでくれた。
「……ばか、だね。そんなことのために、わざわざこんな時代までやってくるなんて、さ。……でも。堀川が、そこまで俺のことを必要としてくれるなら。俺も、もう少し足掻いてみようかな。俺の価値を、諦めないことでさ」
「本当……?」
「うん。だから、堀川。……また会おう、ね。さっきの返事は、その時にしてあげる」
にっこりと笑いながら、透けていた清光くんの体が消えていく。その愛おしい笑顔を目に焼き付けようと、僕は彼を見守った。僕の腕に抱かれたまま、やがてその重さはなくなり、消滅していった。付喪神・加州清光は静かにその生を終えた。最後に一つだけ約束を残して。
ぷつ、と指先からかすかな音が聞こえた。何だろうかと見てみると、ヒラヒラと小さな花びらが地面に舞っていくのが見えた。しっかりと小指に巻き付いていたはずの指輪は、どこにもない。
「願い事を込めて小指につけるとね、それが解けたら願いが叶うんだって」
清光くんの言葉を、思い出す。僕の願いが叶ったのか、それはまだ分からない。でも、僕は清光くんの言葉と、この指輪に込められた力を、信じている。
その後、僕は残された清光くんだったもの、彼の言葉を借りるならば「鉄屑となった加州清光」の最後を見届けた。溶かされて、別のものへと生まれ変わる。本当の意味での終わりまで見届けた後、僕は思い出の詰まった幕末を後にした。
*
何ヶ月ぶりに見る、本丸の門。本丸で過ごす主さんや刀剣男士たちからしたら、そう時間は経っていないのだけど、僕の方からしたら久しぶりなので緊張してしまう。ぎいっと音を立てて扉を開くと、庭で訓練していた何人かの刀剣男士たちがすぐに気づいて駆け寄ってくる。お疲れ様、という労いの声に喜びを感じながら、僕は主さんの部屋へと向かった。
「ご苦労様。長い間一人での任務は疲れただろう、ゆっくり休むんだよ」
起こった全てのことを報告すると、主さんはよく頑張ったねと褒めてくれた。僕が清光くんに未来の話をしてしまったことも、一切咎められはしなかった。
「あの、それで、清光く、いえ、加州清光は……」
「ああ、それなら説明するよりも見た方が早いだろう。今、広間に長曽祢たちがいる。そこに行ってごらん」
「……分かりました。失礼します」
足早に広間へ向かうと、何やら騒がしい声が聞こえてくる。兼さんの嬉しそうな声。安定くんは、少し鼻声になっている。ドキドキしながら、戸を開いた。
そこには、長曽祢さん、兼さん、安定くん、そして、彼らに囲まれるように立っている一人の人物。にこりと笑った口から可愛らしい八重歯が覗く。見間違えるはずもない、刀剣男士・加州清光だった。
別れ際に交わした僕と清光くんの約束は、何百年もの時を経て果たされた。指輪の願い事は、叶ったんだ。言葉にできない感動と興奮が、僕の体中を駆け巡った。勝手に指先が震えてしまうのを感じる。
僕の登場に気づいた清光くんが、キラキラとした笑顔のまま駆け寄ってくる。
「遅いよ、堀川」
そう嬉しそうに言いながら、清光くんは僕に抱きついてきた。その様子に、他の三人が目を丸くする。僕もいきなり抱きつかれると思ってなかったので、驚きと嬉しさで言葉が詰まった。
「約束通り、また会えたね」
にっこりと笑う清光くんの瞳は、涙で潤んでいた。死に際に交わした言葉を、俺はちゃんと覚えているよ。赤い瞳が、そう語りかけていた。
「……ありがとう。僕に、会いに来てくれて」
兼さんたちの視線を感じながらも、我慢できずに僕も清光くんを抱きしめ返した。
「ねえ、覚えてる?俺の最後の言葉」
「えっと……その、僕の、あれに対する返事、だよね……?」
「そっ。一度しか言わないから、聞き逃さないでね」
僕の耳に、清光くんの指が添えられる。僕だけにしか聞こえないように発せられた言葉。その言葉が聞けただけで、この何ヶ月もの間の任務の辛さなんて吹き飛んでいき、胸がジンと温かくなった。
ああ、そうだ。清光くんの指輪のおかげで、願い事叶ったよって、教えなきゃ。