【堀清】未来で待ってるから

「本当に?」
 じいっと見つめてくる瞳が、あまりにも無垢なものだったから。心の内を見透かされてしまうかも、なんて馬鹿なことを考えてしまい、思わず視線を逸らしてしまった。清光くんは、そんな僕のことを訝しげに見ていた。絶対何か悩んでいるだろう、とその視線が語りかけてくる。でも、本当のことを言う訳にはいかない。僕と清光くんの間に、無言の時間が訪れる。
しばらくそうしていたが、仕方ないなと諦めてくれたらしく、彼は花びらを手に何や
ら作り始めた。赤い指先が、細やかに動く。

 数分の後、再び清光くんは僕に視線を向けた。そして、はいと手のひらにちょこんと乗ったものを差し出してくる。

「……これは?」

「花で作った指輪。知ってる?願い事を込めて小指につけるとね、それが解けたら願いが叶うんだって」

「初耳だよ」

「じゃあ、ちゃんと覚えててね。はい、小指につける。……うん、ぴったり。しかも可愛い。俺って天才かもなー」

「いいの?僕がもらっても」

「いーの。ほら、ちゃんと願い事決めた?大事にしてよね、俺のお手製なんだから」

「……うん。ありがとう、清光くん。大事にするよ。願い事が叶ったら真っ先に教えるね」

「えへへ、ようやく笑った」

「えっ?」

「さっきから深刻そうな顔してるから。どうやって崩してやろうかなって考えてたんだよ」

 悪戯っぽく笑う清光くんが、眩しかった。僕が君のことを助けに来たはずなのに、これじゃあ立場がまるで逆だ。

「……清光くんには敵わないな」

「まあねー。ほら、明るい顔できるようになったんだし、そろそろ土方さんのとこ戻りな?あんまり遅いと怒られても知らないからね」

「うん、そうする。ありがとう、清光くん。またね」
「行ってらっしゃーい」
 ゆらゆらと手を振って見送ってくれる清光くん。本当はもっと一緒に話したいのだけど、これ以上時間をかけると本当に土方さんと僕が戻ってきてしまうかもしれない。僕がここに来た目的を、履き違えてはいけない。僕は、歴史に干渉することなく、清光くんが刀剣男士として現れない原因を探るためにやって来たのだ。仲良く話をしている場合じゃなかった、のに。

 彼が隣にいると、そんなこと全て忘れてしまいそうになった。一緒にいるだけで、嬉しかった。ごめんなさい、主さん。長曽祢さん、兼さん、安定くん。次の機会こそ、手がかりを掴んでみせるから。今回だけは、どうか許してください。

 そう心の中で懺悔しながら、ぐっと拳を握りしめた。小指に嵌められた花輪に、願いを込める。必ず清光くんを本丸に連れて行きたい、と。


 それからしばらくの間、僕に再び清光くんと接触するチャンスは訪れなかった。新選組は徐々に勢力を拡大して忙しくなっていたので、彼が刀として活躍する時間も増えていった。沖田さんの側に仕える清光くんの邪魔はしたくなかったし、土方さんと沖田さんが行動を共にする間は、この時代の「堀川国広」がいるので僕から会いに行くことはできない。そうなると、僕は黙って見守ることしかできなかった。

 もちろん、手をこまねいて見ていただけではない。注意深く、観察を続けていた。清光くんと僕たち四人、何が違うのかと。何か違いを見つければ、それが本丸に顕現できない鍵になるかもしれないと、影から付喪神たちの様子を伺った。けれど、観察すればするほど、分からなくなっていった。普段の行動に、清光くんだけ特別何か大きな違いがあるかと言われれば、答えはNOだ。

 主のことを慕っているのは全員そうだし、力になりたいと常日頃から側に仕えている。新選組に対する愛情だって、みんな持っている。付喪神の仲間たち同士、互いの存在だって大切に思っている。じゃあ、一体何が違うって言うんだ?何が、彼を刀剣男士になるのを妨げているって言うんだ?

 正直、八方塞がりに近かった。主さんに報告の連絡は続けていた。僕が手こずっていることを感じたのだろう、一度本丸に帰ってきてもいいんだよ、と声をかけてもらった。けれど、僕はその申し入れを断った。ここで帰りたくない。帰ってはいけない。何故か、そう思えてならなかった。

 皆が寝静まった夜。昼間は騒がしい屯所も、しんと静まりかえっている。僕は、廊下を歩いていた。最近は、何か手がかりを掴めないかと夜のうちにあてもなく屯所の中を調べたりするのが日課となっている。幸い、付喪神たちも夜は主の傍らで休んでいるから、見つかる心配はない。万一見つかっても、この時代の堀川国広のふりをして少し夜風に当たりたかったんだと言い訳すれば納得してもらえる。……相手が、僕自身でさえなければ。
 その夜、僕は少しばかり気が緩んでいた。手がかりが掴めないことに、少し疲れていたのかもしれない。調査を中断して、軒先に座り込む。桜はすっかり散ってしまい、間も無く梅雨がやってくるだろう。

 ……池田屋事件。運命の日はそう遠くない。清光くんの刀としての生が終わる日。それまでに何も分からずじまいなんてことには、なりたくない。何のために、ここに来たんだ。しっかりしろ、堀川国広。お前は、仲間を代表して、清光くんを助けに来たんだろう?諦めるな、諦めるな……。

「夜ふかし付喪神みーつけた」

 ハッとして振り返る。そこには、清光くんが立っていた。久しぶりに、近くで見る顔。思わず泣きそうになったのを、ぐっと表情筋に力を入れて堪えた。

「見つかっちゃったね」

「なーにしてんの?」

「眠れないから、少し夜風に当たってたんだ」

「ふーん」

 清光くんが、静かに僕の隣に座る。片膝を立てて両腕を膝に乗せながら、じいっとこちらを見つめてくる。見られている方の頬が、ほんの少し熱くなるのを感じた。

「あっ、ちゃんとつけてる」

「え?」

「俺があげた花の指輪。ほら、堀川って普段は籠手つけてるから、小指よく見えないじゃん?ちゃんとつけてて感心感心」

「当然だよ。清光くんが、僕のために作ってくれたんだもの」
「でも、まだ解けてないってことは、願い事は叶ってないってことかー」
「そう簡単には、ね」
「まあそうだよね。でも、安心しなよ。俺が力込めて作ったんだから、絶対大丈夫」

「……そうだね。辛いことがあっても、この指輪を見ていると元気をもらえるんだ。清光くんのおかげだね」

「……堀川ってさ、たまに凄いよね。恥ずかしげもなくさらっとかっこいいこと言えるっていうか」

「ええっと、そうでもないと思うけど」

「いやー、どうかな?きっと堀川が人間だったら、さぞ女の子から人気者になるだろうね」

「そ、そんなことないって。清光くんの方が、かっこいいし」

「ほー、お目が高いね」

 上機嫌で笑う清光くんは、いつもと変わらない。一体何が、僕たちと彼で違うというのだろう。こうして接していても、それだけがまるで分からない。

「……ねえ、清光くん」

「んー?」

「清光くんは、何か悩んでることはないの?」

「いきなりどうしたのさ」

「ほら、前に僕にこの指輪をくれたでしょ?僕にも、何か力になれることがあったらって思って」

「なるほどね。気持ちは嬉しいけど、別に悩みなんてないなー」

「そっか。……すごいね、清光くんは」

 何か手がかりを得られたらと思ってした質問だったが、不発だったらしい。本人に聞いても収穫なしとなると、いよいよ手詰まりだ。どうしたものかな……。

「でも、怖いことはある」

「え?」
「俺、今すごく幸せなんだよね。だってさ、俺は刀じゃん?刀は、人間に振るわれて活躍するからこそ価値があると思うんだよね。可愛がられてるなって、感じるから。だからさ、もしそれができなくなったら俺にもう価値はなくなっちゃう、そうなることが怖い」
「……」

「俺たちは、モノだから。使い続ければ、いつかは壊れてしまう。永遠には存在できない。……折れたりしちゃったら、その時点で俺はただの鉄屑になっちゃうんだよね。そうなったら、価値がなくなっちゃうんだ。道端の石ころと同じになっちゃう」

「……折れるのが怖い、ってことだよね。それは僕だって、ううん、みんなそうだと思うよ」

「折れることが、っていうよりは、価値がなくなるのが嫌なんだ。その瞬間、俺の存在価値がまるっきりなくなっちゃうから」

「たとえ折れたって、清光くんのことを沖田さんや僕たちは忘れない。だから、清光くんの価値がなくなるなんてことにはならないよ」

「どうかな。俺は、刀としても安い方だし。たとえ沖田くんが俺がいなくなった後も活躍したとして、俺の名前は残らない。忘れ去られるだけだよ」

「そんなことないよ!」

 気づけば、声を荒げていた。急にどうしたんだと目を丸くして僕を見る清光くんには申し訳ないけど、分かってしまった気がする。なんで、清光くんだけが刀剣男士になれないのか、その訳が。

 折れるのが怖い、それはさっき僕が言ったように、みんな心のうちに抱えている感情だ。でも、その理由はそれぞれ違う。主の行く先を見れないから、自分という存在が消えてしまう未知の恐怖があるから、もっと刀として活躍したいから。

 でも、折れる=価値がなくなる、という考えの刀は僕たちの本丸にいるだろうか。あまり深く考えたことはなかったけど、すでにこの世に存在しないにも関わらず呼び出された自分を含む刀たちは皆、もう一度戦うことができるのだと喜んだ。自らの生を実感し、その思いを力に変えて戦っている。

 ……だけど。折れたらそこでおしまい、価値のない鉄屑だと、そう思っている清光くんは。もしかすると、顕現することを無意識のうちに拒否してしまっているのかもしれない。もう自分には刀としての価値がないのだから、刀剣男士になどなれるはずもない。そんな悲しい想いを死の闇の中で抱えたまま、眠り続けているのだとしたら。……そんなの、寂しすぎるじゃないか。
「清光くんはすごい刀だ。沖田さんの元で、今までたくさんの敵を相手にしてるのに一度も負けたことがない。そんな刀が、忘れ去られるはずないよ」
「……励ましてくれるのは嬉しいけどさ。堀川も、長曽祢さんも、和泉守も、安定も。俺より値打ちのある刀じゃない?だから、俺の気持ちなんて分かりっこないよ」

「それは……」

「でも、ありがと。話聞いてもらって、嬉しかったよ。じゃあ、俺はそろそろ休むから。おやすみ、堀川」

「……おやすみ」

 清光くんの背中が、段々と遠くなっていく。そのどこか物悲しさを感じる背中にかけるべき言葉を探しているうちに、彼は去っていってしまった。己の情けなさが身に染みて、もうすぐ六月だというのに肌寒さを感じた。

 それから、僕は何度か清光くんに接触する機会を無理矢理にでも作っては彼をさりげなく説得しようと試みたけど、全て失敗に終わってしまった。もうその話はいいよ、堀川がそう思ってくれているならそれでいいよ、そう言われて話を切り上げられてしまう。僕だって、清光くんがあまり話したくないことにできるなら触れたくない。でも、それで清光くんの未来を変えられるというのならと心を鬼にした。

 けれど、駄目だった。いくら語りかけても、平行線のように交わることはない。焦れば焦るほど、事態は膠着していくばかりだ。そうこうしているうちに時間は無情にも過ぎていき、あっという間に池田屋事件の日を迎えてしまった。

 このままでは、清光くんは本丸に顕現できないままだろう。彼の考えを変えようという試みは、残念ながら何度やっても上手くいかなかった。だったら、僕に残された道は。考えたくない方法が、ついに頭の中を占めていく。

 ……清光くんが、池田屋で折れなければ。彼はその後も沖田さんと共に最後まで戦うことができるかもしれない。折れないで、刀のまま二二〇五年を迎えることができるかもしれない。そうなったら、本丸で清光くんと会うことができるかもしれない。

 僅かに残された希望。だけどそれは、歴史を改変するということに他ならない。その手段を取ってしまえば、僕は刀剣男士ではいられない。討つべきはずの敵、時間遡行軍と同じ存
在へと堕ちてしまう。……でも、僕の犠牲で清光くんを助けられるなら。ぐるぐると考えが渦のように頭の中で回り続ける。ここで悩んでいたところで結論は出ない。ひとまず、隊士のふりをして池田屋に行こう。そこで、僕がどうしたいのか。己の素直な気持ちに最後は委ねよう。そう思い、僕は新選組の隊服に身を包んで屯所を後にした。

生ぬるい風が肌を掠める、夜。池田屋の屋根の上から、通りの様子を伺う。討幕の勢いが増し、治安が悪化した京都の町。夜に出歩く人はまばらだ。当然といえば当然だろう。この動乱の時代は、闇討ちも暗殺も、何でもありだ。そういう時代だからこそ、僕は活躍できたのだから。巻き込まれたくない人間は、決して夜に不用心に出歩いたりはしない。夜に外を彷徨くのは、命知らずの侍たちばかりだ――。
 通りの向こうから、見慣れた一団がやって来るのが目に入る。揃いの隊服に身を包んだ、壬生の狼・新選組の登場だ。攘夷志士たちの集会の情報を得た彼らは、浪士たちを掃討・捕縛するべく今日この場にやって来た。当然、その中には一番隊組長・沖田総司がいる。愛刀・加州清光を携えて。

 傍に寄り添う清光くんの表情は、遠くから見ても分かるほど高揚していた。主と共に戦える、そのことが誇らしい。そんな顔をしている。……これから自分を待ち受ける運命も知らずに。無邪気な彼の姿を見ているのが、辛かった。

 池田屋の前で、彼らの足が止まる。建物を取り囲むように布陣すると、近藤さんや沖田さんを始めとした数名が屋内へと駆け出した。屋根から音を立てずに降り立った僕も、見つからないように気配を消してその後に続いた。

 僅かな明かりが灯るだけの室内。怒号や走る足音が響き渡る。キン、と剣戟の音がする方へ走る。そこには、加州清光を手に戦う沖田さんの姿があった。彼と睨み合う敵の間に、緊張が走る。加勢するべきか逡巡し、僕は腰に差した刀に手をかけた。

 一瞬の後、先に動いたのは敵の方だ。掛け声と共に振り下ろされる刀。けれど、その刃が沖田さんに届くことはなかった。目にもとまらぬ突き。それは三段突きと呼ばれる、彼の最も得意とする剣術だ。あっという間に敵の喉を貫いた加州清光は、血に濡れてもなお美しかった。しなやかな強さと美しさが同居する清光くんの刃に、僕は戦場だというのに見惚れてしまっていた。血を拭う間もなく、沖田さんと清光くんは次の相手との戦闘を始めている。

 清光くんは、今を生きている。一生懸命、命を燃やして戦っている。そんな彼の運命を、僕ごときが変えてしまっていいのか?……いいわけない、よね。沖田さんも清光くんも、精一杯今を、一瞬一瞬を生きているのだ。そんな彼らを待ち受ける運命がいいものだとか悪いものだとか、誰にだって口出しできる権利はない。人の、刀の一生は、自分で決めるものなんだから。
 僕は、抜きかけた刀を鞘に戻した。沖田さんは複数の敵を相手取っている。清光くんと敵の刀が打ち合う度に、小さな火花が散る。それを僕は、静かに見守っていた。何度かの打ち合いの末に、清光くんの刀身が折れた瞬間も。僕は、黙って見守っていた。

 呻き声をあげて、清光くんが倒れる。その体は、少し透けていた。彼の元へ素早く駆け寄ると、僕はその体を抱き止めた。

「……っ、堀、川……?何、で、こんなとこに……?」

「……清光、くん」

「……堀川と、話してた通りになっちゃったね。俺は、これでおしまいだ」

 瞳を潤ませながらも眉間に力を入れて死の覚悟を決めた様子の清光くんを前に、僕は語りかけた。

「聞いて、清光くん。君はここで終わる存在じゃない。君と沖田さんの活躍は、後の世まで語り継がれる。動乱の世で必死に戦った君たちの生き様は、何百年経っても忘れられたりなんかしない。……だから、ね。清光くんはここで死んでしまっても、活躍できるんだよ。いずれ、刀の付喪神の力が必要になる時代が来るんだ。……僕は、その時代からやって来たんだよ。君を、助けたくて」

「……何、それ。どういう、ことさ」

「僕は、今の時代を生きる刀の付喪神じゃない。今から数百年後の未来からやって来た、人の身を得た刀剣男士・堀川国広なんだ。……黙っていてごめんね。でも、本当のことなんだ。信じて欲しい」

「……」

 清光くんは痛みを堪えながら、じっと僕の顔を見つめる。僕もそんな彼に想いが伝わるようにと、見つめ返した。少しの静寂の後、清光くんの口の端が緩んだ。

「……そう、いえば。ここ最近、たまに堀川と話したはずのことが通じないことがあったっけ。じゃあ、あれはお前とこの時代の堀川、二人いたからってことか」
「そうなるね。ほら、この指輪。貰ったのは、僕の方なんだよ」
 そっと、小指にはまる花輪を見せた。彼の力と愛情のこもった、贈り物を。

「……そっか。じゃあ、本当にお前は、未来から来た堀川なんだね」

「うん。僕のいる未来に、清光くんはまだいないんだ。僕は、もう一度君に会いたい。……だから、清光くん。どうか、ここで君の価値を諦めないで。君の価値はここで終わりなんかじゃない。君は未来でも刀として戦うことができるんだ。……お願い。僕は、待っている。未来で君のこと、待っているから」

 ぎゅっと、急速に体温が失われていく清光くんの手を握った。どうか、もう一度この手を握れますように。そう、願いを込めながら。

「……どうして?どうして俺のために、そこまでしてくれるの?」

 僕の言葉に少し目を見張りながら、そう問いかけてくる。どうして、か。彼をどうしても助けたいというこの熱い気持ちが何なのか。今の僕なら、言葉にできる。

「清光くんのことが好きだから」

「えっ……?」

「清光くんのことが大好きだから。もう一度一緒に生きたい。……僕が望むのは、それだけだよ」

 嘘偽りない本心を、一息で言葉にした。後悔はしていない。たとえ拒絶されたって構わない。気持ちは、言葉にしないと伝わらない時だってあるのだから。

 清光くんは少しポカンとしていたが、ゆっくりと頬を緩めて微笑んでくれた。

「……ばか、だね。そんなことのために、わざわざこんな時代までやってくるなんて、さ。……でも。堀川が、そこまで俺のことを必要としてくれるなら。俺も、もう少し足掻いてみようかな。俺の価値を、諦めないことでさ」

「本当……?」

「うん。だから、堀川。……また会おう、ね。さっきの返事は、その時にしてあげる」

 にっこりと笑いながら、透けていた清光くんの体が消えていく。その愛おしい笑顔を目に焼き付けようと、僕は彼を見守った。僕の腕に抱かれたまま、やがてその重さはなくなり、
消滅していった。付喪神・加州清光は静かにその生を終えた。最後に一つだけ約束を残して。
 ぷつ、と指先からかすかな音が聞こえた。何だろうかと見てみると、ヒラヒラと小さな花びらが地面に舞っていくのが見えた。しっかりと小指に巻き付いていたはずの指輪は、どこにもない。

「願い事を込めて小指につけるとね、それが解けたら願いが叶うんだって」

 清光くんの言葉を、思い出す。僕の願いが叶ったのか、それはまだ分からない。でも、僕は清光くんの言葉と、この指輪に込められた力を、信じている。

 その後、僕は残された清光くんだったもの、彼の言葉を借りるならば「鉄屑となった加州清光」の最後を見届けた。溶かされて、別のものへと生まれ変わる。本当の意味での終わりまで見届けた後、僕は思い出の詰まった幕末を後にした。

 何ヶ月ぶりに見る、本丸の門。本丸で過ごす主さんや刀剣男士たちからしたら、そう時間は経っていないのだけど、僕の方からしたら久しぶりなので緊張してしまう。ぎいっと音を立てて扉を開くと、庭で訓練していた何人かの刀剣男士たちがすぐに気づいて駆け寄ってくる。お疲れ様、という労いの声に喜びを感じながら、僕は主さんの部屋へと向かった。
「ご苦労様。長い間一人での任務は疲れただろう、ゆっくり休むんだよ」

 起こった全てのことを報告すると、主さんはよく頑張ったねと褒めてくれた。僕が清光くんに未来の話をしてしまったことも、一切咎められはしなかった。

「あの、それで、清光く、いえ、加州清光は……」

「ああ、それなら説明するよりも見た方が早いだろう。今、広間に長曽祢たちがいる。そこに行ってごらん」

「……分かりました。失礼します」

 足早に広間へ向かうと、何やら騒がしい声が聞こえてくる。兼さんの嬉しそうな声。安定くんは、少し鼻声になっている。ドキドキしながら、戸を開いた。

 そこには、長曽祢さん、兼さん、安定くん、そして、彼らに囲まれるように立っている一人の人物。にこりと笑った口から可愛らしい八重歯が覗く。見間違えるはずもない、刀剣男士・加州清光だった。
 別れ際に交わした僕と清光くんの約束は、何百年もの時を経て果たされた。指輪の願い事は、叶ったんだ。言葉にできない感動と興奮が、僕の体中を駆け巡った。勝手に指先が震えてしまうのを感じる。
 僕の登場に気づいた清光くんが、キラキラとした笑顔のまま駆け寄ってくる。

「遅いよ、堀川」

 そう嬉しそうに言いながら、清光くんは僕に抱きついてきた。その様子に、他の三人が目を丸くする。僕もいきなり抱きつかれると思ってなかったので、驚きと嬉しさで言葉が詰まった。

「約束通り、また会えたね」

 にっこりと笑う清光くんの瞳は、涙で潤んでいた。死に際に交わした言葉を、俺はちゃんと覚えているよ。赤い瞳が、そう語りかけていた。

「……ありがとう。僕に、会いに来てくれて」

 兼さんたちの視線を感じながらも、我慢できずに僕も清光くんを抱きしめ返した。

「ねえ、覚えてる?俺の最後の言葉」

「えっと……その、僕の、あれに対する返事、だよね……?」

「そっ。一度しか言わないから、聞き逃さないでね」

 僕の耳に、清光くんの指が添えられる。僕だけにしか聞こえないように発せられた言葉。その言葉が聞けただけで、この何ヶ月もの間の任務の辛さなんて吹き飛んでいき、胸がジンと温かくなった。

 ああ、そうだ。清光くんの指輪のおかげで、願い事叶ったよって、教えなきゃ。