【兼堀】縁

「よし、みんな集合だ」
部隊長・小竜景光の一声が聞こえて、オレたち部隊のメンバーはすぐに集合した。すでに先ほどまで戦っていた遡行軍の気配はない。どうやら今回の戦いは、オレたちの完全勝利ってヤツらしい。
「実はさっき主から連絡があって、まだ僅かにこの一帯で時間遡行軍の力が観測されるってさ。数はせいぜい一体か二体くらいだろうけど、詳しい位置が特定できないらしい。……ということで、ここからは別れて捜索に向かってくれないかな」
「単独行動ってことか?」
「ああ、そうなるね。もちろん、相手が強かったり敵の数が予想より多かったりしたらその場は戦わずに退却してくれ」
「集合するのはここで良いですか?」
「ああ、この場所で良いよ。酉の刻までには必ず戻ること。それで良いかな?」
「へいへい、了解だ」
「じゃあ、一旦解散だ。くれぐれも気をつけて行動するんだよ」
その言葉を受けて、各々散り散りになっていく。オレも行くかと歩き出し始めた時に、背中に声がかかった。
「兼さんはどっちの方を探すつもりなの?」
「あー……そうだな、他の連中があっちの方にいったから、南の方に行くつもりだ。地図によると森林地帯みたいだからよ、そこに敵が隠れていねえかきっちり探してやるよ」
「そっか。兼さん偵察はあまり得意じゃないんだし、気をつけてね」
オレの横に立つ相棒は、オレ相手になると少しばかり心配性になる。もちろん、気を配ってくれること自体は嬉しいが、オレとて一人前の刀剣男士だ。むず痒く感じてしまうのは、仕方ないだろう。
「分かってるよ、オレはかっこ良くて強い最近流行りの刀だぞ?偵察くれえオレ一人で楽勝だ」
「あはは、さすが兼さん。その意気だよ」
「……なーんか乗せられてねえか。まあ良いけどよ。国広、人の心配するのもいいが、お前も気ぃつけろよ?」
「うん、ありがとう。僕は西の方にある村の近くを探してみるよ。また後でね、兼さん」
「おう、じゃあな」
国広に向かって軽く手を振る。そうすると、ご機嫌な犬の尻尾みてえにぶんぶんと手が振り返される。大袈裟だな、と思いつつも、背中を押されたような気がしてオレの足取りは軽くなった。
さっさと残った敵を見つけて倒しちまって、本丸に帰ろう。相棒と互いの働きを労って、思う存分飯を食って、熱い湯を浴びて、眠気に誘われながら床に就く。そんな一日の終わりを想像しながら、オレは目的地へと急いだ。

「……珍しいね。堀川が集合時間に遅刻してくるなんて」
「ったく、どこで油売ってんだあいつ」
――酉の刻。すでに国広以外の隊員は皆、集合場所に揃っている。結局、オレの探した方に遡行軍はいなかった。報告によると、部隊長の小竜が敵の打刀一人と遭遇し無事に討伐したらしい。他は見つけられなかったということは、残っていたのはその一人だけだったってことなのかねぇ。
「さっき主に連絡を取ったんだけど、もうこの時代から遡行軍の気配は消えたみたいだ。だからもう危険はないんだけど、どうしちゃったのかな」
半刻待っても、国広は現れなかった。近くを手分けして探してみたが、国広の姿は見当たらない。単独行動をする前の戦闘で軽く負傷した奴は、少しばかり疲れた様子だ。無理もない。一日中戦ったり、敵を探したりと気ぃ張っていたんだ。少しの怪我でも体が重く感じちまうもんだ。
小竜も、迷っているみてえだ。怪我をした奴らをこのまま働かせるわけにはいかない。かといって、国広を置いて本丸に戻るわけにはいかない。さて、どうしたものか、といったところだろう。
「おい、ちっといいか」
「どうしたんだい、和泉守」
「怪我してる奴もいることだしよ、お前は皆を引き連れて先に本丸に帰ってくれねえか。国広は、オレが残って探すからよ。もう遡行軍もいねえんだし、問題ねえだろ」
「うーん、そうだね……キミ一人で探すのは大変じゃないかい?」
「んなことねえよ。それに、あいつはオレの相棒なんだ。いなくなっちまった国広を探すのは、相棒のオレの役目だからな。任せてくれよ」
「……分かった。堀川の捜索はキミに任せるよ、和泉守。でも、もし何かあったらすぐに本丸に帰還してくれ。いざとなれば本丸から他の刀剣男士を呼んで、堀川を探すから」
「おう、ありがとよ。きっとすぐに国広の奴を見つけて一緒に帰るから、安心して待ってな」
「ああ、本丸で待ってるよ。じゃあ、後はよろしくね」
少し心配そうな視線を残しつつ、小竜は他の隊員に事情を説明して本丸へと帰っていった。一緒に行けなくて申し訳ない、堀川のことを頼んだと、隊員たちはオレに声をかけてくれた。こいつらの分まで、オレが頑張らねえといけねえ。全く国広の奴、こんなに心配をかけてどこ行っちまったんだ。オレのことを心配してたお前の方がいなくなっちまうなんて、らしくもねえ。

幸いにも、国広は別れ際に西の方の村へ向かうと言っていた。なら、きっとその近くにいるはずだ。今日の戦闘であいつだって多少は疲れているんだから、そんなに遠くまで行けるはずはない。だから、村の近辺を探せばきっと見つけられる。ごめん、足を怪我しちゃって動けなかったんだ。どうせそんなことだろう。いや、そうであって欲しい。
気付けば目的の村に着いていた。ここに来るまでの道中、必死に国広の霊力を感じないかと神経を集中させていた。だが、そんなものは一切感じられなかった。村の中を見回しても、その姿は見つけられなかった。少しばかり怪我をして泣いている坊主はいたが、国広はいない。一人でどこに行っていたのと親に叱られる坊主は、必死に何かを訴えようとしている。でも、言葉が上手く出てこないらしい。そんな様子を少しばかり見守ってから、オレは村を後にした。
それから、オレは徹底的に村の周囲を探した。時折国広の名前を呼びながら、ひたすら歩き続けた。返ってくるのは静寂だけで、オレの心は擦り減るばかりだ。けど、諦めるわけにはいかねえ。オレが諦めちまったら、誰があいつを見つけられるっていうんだ?
あてもなく、探し続けた。さすがにこんな場所にはいねえだろってくらい離れた場所まで、全部。でも、国広はいない。どこにもいない。神隠しにでもあっちまったんじゃねえか。いや、そんなわけねえか。オレたちは付喪神だ。そんなことあるはずねえ。
東の空から、朝日が昇りかけている。いつの間にか、夜が明けようとしている。一晩中歩き回った体は、節々から痛みを感じる。重りでもつけてるんじゃねえかと思うほど、足が重い。もう動きたくない。そう、体が悲鳴をあげている。
諦めるわけじゃねえ。だが、少しだけ。少しだけ休憩させてくれ。
小さな社の前で、座り込む。神社でも寺でもない、となるとこれは何なんだ。土地神だか何かでも祭ってるんだろうかねえ。何にせよ、備えものとして木の実やらの食べ物が置いてあるってことは、ちゃんとこのあたりに住む人間たちから忘れられることなく信仰されてるってことだ。神サマだって、人間たちに存在を忘れられちまったら、力を失って、そのうち死んじまう。お前は幸せ者だな、と思いながら、オレの瞳はゆっくりと閉じた。

「――さん、起きて」
何だよ、うるせえな。ねみいんだからもうちっとくらい寝かせてくれよ。
「兼さんってば、起きてよ」
何だ、国広か。お前だって昨日出陣して疲れてんだろうから、もう少し寝ようぜ?どうせ今日は非番なんだからよ……。
「兼さん。こんなところで寝てちゃダメだよ、起きて」
オレの部屋の布団で寝て何が悪いんだよ。オレの部屋の……布団……で?
そういえば、背中にあたる感触は柔らかくない。チクチクとして、まるで草の上で寝ているような。いつも被っているはずの布団も、ない。それどころか、寝間着も着ていない。腰に防具をつけたままじゃねえか。
ってことは、ここは、本丸じゃない。じゃあ、どこだ。オレは、確か出陣して。それで、国広がいなくなっちまったから、一晩中探して……。
「国広!」
そうだ、国広の声がこんなにはっきりと聞こえるのはおかしい。だって、オレはあいつを必死になって探していたけど、まだ見つけられていないはずだ。
慌てて体に纏わりつく眠気を振り払い、重たい瞳を開く。そこには、オレのことを心配そうに眉を下げながら見つめる国広がいた。
考えるよりも先に、体が動いていた。あっという間に体を起こすと、屈んだ体勢の国広の腕を引き思い切り引いて抱きしめる。
「国広! お前、国広だよな!」
「兼さ、苦しいよ……。もちろん、僕は兼さんの相棒の堀川国広だよ」
「国広! 馬鹿野郎、心配かけやがって……どこほっつき歩いてたんだ」
ぎゅうぎゅうと、国広を胸に押しつけるように抱きしめた。ああ、良かった。国広だ。オレの相棒だ。さっきまで感じていたはずの体の疲れなど、どこかに吹っ飛んでいた。
国広を見つけられた。それだけで、目頭が熱くなる。鼻の奥がツンと痛み、ずるずると鼻水が出てくる。ここに安定か清光がいたら、何泣いてるんだよと揶揄われること間違いなしだ。だけど、仕方ねえだろ? 大事な相棒がいなくなって、散々心配したんだぜ? オレじゃなくたって、こうなるだろうよ。
思う存分国広のことを抱きしめた後、その体を解放する。少しばかり苦しそうな姿を見て、やりすぎちまったかなと反省した。
「ごめんね、心配かけて。遡行軍を見つけたんだけど、僕の気配を察知されて逃げられちゃって。必死になって追いかけてたら、随分と遠くまで行っちゃったんだ。でも、ちゃんと倒したよ。だから、もう大丈夫」
「一人であんまり無茶するんじゃねえよ。でも、よくやったな。さすがオレの相棒だ。お前と小竜が倒した分で、この時代の敵は全部だったみてえだ。オレ以外の奴は、先に帰ってるぜ。オレたちも本丸に帰るぞ」
「そうだったんだ。皆にも心配をかけちゃったよね。申し訳ないな……」
「帰って謝りゃいいだろ? まあ誰も怒っちゃいねえだろうけどな」
「……そう、だね。うん、帰ろう。主さんにもちゃんと報告しないといけないし」
少し歯切れが悪い反応が気になるが、オレも国広もヘトヘトだ。さっさと本丸に帰って主に事情を説明したら、休まねえと体がもたない。急いで本丸への帰路を作ると、国広と共に歩き出した。

「あれ、和泉守だ。帰ってきたんだね、お疲れ様!」
ちょうど玄関の周りを掃除していたのは、安定と清光だった。オレたちの姿を見て、すぐに手を止めて駆け寄ってくる。
「おう、帰ってきたぜ。主がどこにいるか分かるか?」
「主なら、たぶん今は仕事部屋にいるんじゃないかな」
「ありがとな、ちょっくら報告に行ってくるとするぜ。おっし国広、主んとこいくぞ!」
「はいはーい」
安定と清光に軽く手を振ると、国広を引き連れて主の仕事部屋へと急いだ。だからオレは、安定と清光がそんなオレたちを首を傾げながら見送っていたことに、気づかなかった。
「……なあ、安定」
「何さ、清光」
「和泉守の言う国広って、堀川のことだよな」
「そりゃあそうでしょ」
「……あいつ、目でもおかしくなっちゃったのかな?」
「分かんない。後で主に相談してみよっか」

「――ってなわけで、オレも国広も怪我なく帰ってこれたぜ、主」
「……なるほど。疲れている中報告ありがとう、和泉守」
穏やかに微笑むその顔を見ただけで、今回の出陣の疲れがすうっと引いていくような、肩が軽くなったような気持ちになる。この主のために戦って良かったと、心の底から思う。先ほど部屋に入ったオレたちを見た時に少し驚いた様子だったが、どうやらその時感じた違和感は杞憂だったらしい。
「じゃあ主、すまねえが部屋に戻っても良いか?いくら付喪神っつても、今回ばかりはちっとばかし疲れてるみてえでよ」
「ああ、もちろんだよ。今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとよ、主。ほら国広、行くぞ」
「おっと、すまないが堀川は少し残ってくれないかな?」
「あっ、はい、わかりました。兼さん、悪いけど先に戻っててくれないかな」
「……おう、じゃあお先な」
後ろ手で手を振って部屋を退室したが、正直に言うと少しばかり気になる。表情は穏やかなままだったが、主の声には真剣さが滲み出ていた。出陣お疲れ様、と労いの声をかけるだけではなさそうだ。わざわざオレを部屋から出したってことは、国広にだけ話したいってわけだ。一体どういった要件なんだと、モヤモヤとした思いを抱えたまま、オレは自室へとたどり着いた。

トントン、と遠慮がちに扉が叩かれた後、少しだけ開いた隙間の中から伺うようにこちらを見てくる国広と目が合った。
「ただいま、兼さん。もうお風呂入った?」
「悪い、先入っちまった」
「ううん、むしろ僕を待っててくれてたら悪いなと思ってたから良かったよ」
「……随分と長かったな」
「ああ、念のためって主さんに体の調子を診てもらってたんだよ」
「ほぉ、オレは診る必要もないってことか?」
「い、いや、ほら兼さんは丈夫だから、パッと見て問題ないってなったんだよきっと」
「ふーん、そうかよ……まあ、オレは疲れてるだけでどこも問題ねえからいいけどな」
「ほらほら、疲れてるんだからもう休もう!ねっ、僕も準備したら休むからさ」
「へいへい、わぁったよ。じゃあな、おやすみ」
「おやすみ、兼さん」
相棒の爽やかな笑顔を見て安心したのか、瞬く間にオレの意識は澱みの中にへと沈んでいった。トトトト、と廊下を歩く国広の足音が、いつもより小刻みに聞こえたのは、きっと眠かったからに違いない。

「なーんか、あいつオレに隠し事してやがるな」
眩しい日差しに照らされた軒先に座り込んで、最近の相棒のことを振り返る。前の出陣の時の疲れがまだ取れないからちょっとだけ調子が悪いんだよ、と誤魔化されるけど、どうにも怪しい。あの日一緒に帰ってきてからもう十日も経ったというのに、一度も出陣にも遠征にも出てこない上に飯の時間にも顔を出さない。あいつが得意な内番すら参加している気配はない。規律を重んずる新選組の刀だっていうのに、どうしたってわけなんだと首を傾げざるを得ない。
主にそれとなく聞いてみても、国広と同じような答えが返って来るだけだった。最近の国広がどこかおかしいと長曽祢さん、安定、清光に相談してみても、そんなことはないだろうとどこかぎこちない返事しか返ってこない。どいつもこいつも、何かオレに国広のことを隠しているように思えてならなかった。
なんとかして口を割らせてやりてえとは思っているが、さてどうしたもんかねえ。長曽祢さんはガードが堅そうだから、狙うは安定あたりか。確か今日はあいつは畑当番だったっけな。こうしてウダウダ悩んでるのも性に合わねえし、行動あるのみだ。

「畑当番でもないのにこんなとこに何の用?」
「暇だし手伝いでもしてやろうかと思ってな」
「和泉守が? 畑仕事を? ……明日は雨が降るかな」
「おい、失礼なこと言ってんじゃねえぞ」
「だって、畑仕事嫌いでしょ。どういう風の吹き回しなのかな」
「国広の奴にもっと畑仕事を積極的にしろって言われたからな、偶には手伝いくれえしてみようかとよ」
「ふーん、堀川も大変だね。手の掛かる相棒を持って」
「んだとぉ、出陣の時は大活躍してるだろうが」
「そうかもしれないけどさ、内番だって大事なお仕事でしょ。せいぜい頑張って手伝ってよ」
「任せろ、畑当番くれえ余裕でこなしてやるよ」
それから一刻くらい経って、さすがに日が沈みかけてきたってことで今日の作業は終わりになった。遠くの方の畑で作業をしていたらしい清光も戻ってきて、三人で片付けした後に並んで本丸への道を歩く。
「和泉守が当番でもないのに畑仕事したなんて、嵐でも来そうだね」
「おい清光、お前も安定と似たようなこと言ってんじゃねえよ」
「だって、内番の時って堀川がいつもお前の面倒みてるじゃん」
「んなことねえだろ」
「自覚がないんだとしたらヤバいね」
「うっせーな、そりゃあ助かってると思ってるぜ?さっき国広の奴がせっせと庭先を箒で掃除してたからよ、オレも国広のいないとこで活躍しねえとと思ったわけだ」
「えっ? 堀川って箒なんて持てるの?」
単なる雑談だったと思って油断してたようで、安定の奴はまんまとオレのついた「嘘」に引っかかってくれた。その失言にいち早く気づいたらしい清光の視線がさっと安定の方に移り、その体を肘で小突く。
「バカッ、安定」
「痛いなぁ、何だよ清光」
「たった今自分が口にしたことを思い返せよ」
「……あっ」
ようやく安定も気付いたのか、口に手を当てて慌てた様子だ。やっぱり、何か隠してるっていうオレの考えは当たりらしい。
「おかしい話だよな、手伝い好きのあいつが出陣遠征はおろか内番も、普段だったら自主的にやってる掃除やらも一切やってる様子がない。箒が持てない、ねえ。……おい、安定に清光。オレに何隠してんのか教えてもらおうか」
「……それはできない」
「何だとぉ、清光」
「確かに俺たちは堀川のことについて、お前に隠していることがある。でもね、これは俺たちから話すべきじゃないと思う。だから、堀川と直接話して来なよ」
「口を滑らせちゃったのは僕だけど、僕も清光と同じ考えだよ。ちゃんと相棒と話し合って欲しいな」
「……分かったよ。国広の奴捕まえて、一対一で聞きたいこと全部聞き出す。それでいいんだろ」
「後悔のないようにしなよ」
「オレを誰だと思ってやがる、んなもん絶対にしねえさ」
「……そっか。頑張ってね」
「おう、ありがとな」

そっから本丸に帰って夕飯を食べたが、いつものように国広の奴は夕食の席に現れなかった。風呂場にだって当然のように来ない。だったら、こっちから探しに行くまでだ。
自室、広間、食堂、厨房と色んなとこを探した。そのどこにも、国広の姿は見当たらない。脇差の隠蔽力を活かしてか、まるでオレの行く先を予測して避けてるんじゃないかと思うほど探しても探しても見つからない。まだ自室に戻ってないってことは、この本丸のどこかにいるはずなのに。
もう夜も更けてきた。国広の部屋の前で待っていたら戻ってくればいつかは帰って来るじゃねえか。探し回るよりその方がいいだろ。
……いや、違う。本当にそう思うか?このままここで待ってれば、国広があの時のように帰ってくると、本当にそう思うか?
気付いたら、立ち上がって歩き出していた。何故だかわからないが、体が勝手に動いていた。廊下の先の、開けた庭。昼間は刀剣男士たちが各々遊んだり茶を楽しんだりしている庭。暗がりの先に、一人の影が見える。雲に隠されていた満月が、姿を表すと共にその人物を照らし出す。
そこにいるのは、オレのたった一人の相棒だ。いつもの優しい微笑みを携えた国広が、そこにいた。
「……兼さん。探したよ」
「馬鹿野郎、それはこっちのセリフだ」
「本当? じゃあ、入れ違いになっちゃったのかな。ごめんごめん」
「まぁ、見つかったから良かったけどよぉ。んで? お前は何でオレを探してたんだ」
「……兼さんに、話さないといけないことがあって」
「……それは、オレがお前に聞きたいことと一緒か?」
「多分、そうだね」
その寂しげな表情を見て、検討がついた。前々から、そうなんじゃないかと頭の隅に考えはあった。でも、そんなわけねえと必死で否定してたんだ。だが、それももう終わりだ。
「……国広、お前はもう」
「……うん。僕は、この本丸の刀剣男士としての僕はもう、死んでしまったんだ」
ずん、と現実が両肩に重くのしかかる。そんなはずがないと見ないふりをしてきた事実が、オレの体を縛り付ける。指先一つさえも、動かせそうにない。
「じゃあ、お前は何でオレの前に立ってるんだ」
「借りてるんだ。……霊力の高い、犬の体をね」
「お前、そんなことできたのか」
「まさか。兼さんと別れた後、僕は遡行軍に襲われている人間の子供を見つけたんだ」
ふと、村に様子を探りに行った時のことを思い出す。怪我をした少年が泣いていた。涙ながらに言葉を口にして、何かを訴えていた。だが、母と思われる女は心配したと宥めながらも彼の言い分には耳を貸していなかった。そんなわけないでしょう、と。てっきり森の中で獣か何かにでも襲われたか、足を滑らせたか何かと思っていたが、まさか。
「怖いだろうに、その場にあった石や棒を使って一生懸命立ち向かっていた。だから、その子が遡行軍の太刀で突き殺されそうになったのを見て咄嗟に庇ったんだ。もちろん、すぐに返す刀で遡行軍は倒せたよ。でも……」
その場にオレはいなかったというのに、容易に情景が思い描ける。怪我をした少年に向かって繰り出される鋭い突き。だが、少年は突然現れた人物によって体当たりされる形で、横に放られて地面に倒れる。少々痛えだろうが、我慢できないほどじゃねえ。そしてそいつの代わりに、その土手っ腹に刃を貫かれた国広の姿が。
その腹は、赤い鮮血で染まっている。口の端から血が滲んでくる。だが、最後の力を振り絞って、国広は一閃を放つ。人間を守りたい、という一心が、痛みに蝕まれた国広の体を動かしたのだ。想いをこめた刃は、確かに敵に届いた。命と引き換えに、国広は守り抜いたのだ。遡行軍に殺されるはずのない、かけがえのない一人の人間の命を。
「血まみれになって倒れた僕を見て、その子は泣きながら手当てしようとしてくれたよ。でも、僕自身が一番分かっていた。もう、手遅れだって。だから、僕は人間じゃないから大丈夫、早く家に帰るんだよって説得した。彼の背中が見えなくなるまで見守ってから、僕は目を閉じた。これで終わりなんだって、覚悟を決めてね。でも、すぐに目が覚めたんだ。痛みも感じない。何でだろうって思ったら、目の前にその土地で信仰されている『土地神』がいたんだ。僕が人間を庇って死んだのを見ていたみたいでね、力を貸そうって言ってくれてね。次の満月までの間、犬の身に僕の魂を宿す。だから、その時間を使って大切な人にお別れをするといい、って」
全てに、合点が入った。少年は、遡行軍に襲われて、人間ではないという国広に助けられたことを母に話していたんだろう。あんなに探しても見つからなかった国広が社の前で寝ていたオレの前に現れたのは、土地神の力を借りて姿を表したから。安定がオレの嘘に反応したのは、国広が箒なんて持てるはずのない体だと知っていたからだったのだ。
「お別れを告げたい兼さんと、僕に霊力を供給している主さんだけには、刀剣男士としての僕の姿に見えていたみたいだね。もっとも、主さんはすぐに僕の体に起こっている異変に気付いていたから、あの時僕を呼び止めたんだ。他のみんなには、あらかじめ主さんが僕のことについて話しておいてくれたみたい。兼さんに悟られないように話を合わせて欲しいって」
「……何で、今日まで黙ってたんだよ」
「……何度も、言おうと思ったよ。でも、兼さんの顔を見ると、もう少しだけ、もう少しだけこのまま一緒に過ごしたいって欲が出て来ちゃって。結局、こんなギリギリになるまで言えなかった。情けない相棒でごめんね。兼さんの元に、また帰れなかった」
その言葉に、前の主の腰に差されていた頃の記憶が、蘇る。一人、主の故郷へと残されて。それでも、きっと土方さんは、国広は、帰ってくる。そう、信じていた。だが、現実はそう甘くなかった。土方歳三は、遠い北の地で戦死した。無情な知らせが、親族の元に舞い込んだ。初めての主を失った喪失感に、オレの心は擦り減った。でも、まだ希望はある。国広は、見つかるかもしれない。オレの元へと、帰ってくるかもしれない。オレが諦めてどうする、そう思っていた。
それから何十年、何百年が過ぎても、国広が帰ってくることはなかった。さすがのオレも認めざるを得なかった。もう、国広はいないんだ、と。きっと、土方さんと運命を共にしたのだろう、と。
そうか。オレはまた、一人になっちまうのか。……寂しく、なるなぁ。けどよ。
「何言ってやがる、お前は情けなくなんてねえ。誰かの命を守るために、てめえの命を懸けられる。そんなこと、誰にだってできることじゃねえよ。そんな優くて強い相棒を持って、オレは誇らしいぜ」
「……兼さん」
そうだ。国広は何も間違っちゃいねえ。恥じることなんて何もねえ。主と共に、最後まで戦った。死ぬべきでない人間を助けるために、自分の命を代償にした。誇り高き刀剣の付喪神として、立派な生き様じゃねえか。そりゃあ、国広が死んじまって何とも思わないわけねえけどよ。オレだってもし国広の立場になったとしたら、同じ道を選んでただろうよ。オレたちは、全然違うようで、芯の部分は似ているからな。
「ねえ、兼さん。僕たちはさ、生まれた時代も、刀工も違う。僕たちをつなぐえにしは、同じ主の元で使われたって、ただそれだけだったはずなんだ。それなのに、僕たちはまた会えた。もう会えるはずもなかったはずなのに、こうしてもう一度相棒になれた。……きっと、僕たちには、目に見えない縁があるんだよ」
ああ、そうだ。もう会うこともできないはずの国広に、会えた。同じ本丸で生活して、一緒に戦って。夢みてえな時間を、もう一度過ごせた。国広、お前のいう通りだな。きっと、オレたちは何か特別な絆で繋がっているんだ。たとえ、離れ離れになったとしても、だ。
「だからさ、どんな形であれ、僕たちはまた巡り合える。僕は、そう信じてるよ。……だから、ね。お別れは、言わないよ」
「……ああ、そうだな。オレも、信じるぜ。また、お前と会えることをな」
「僕と出会ってくれてありがとう、兼さん。またね」
その穏やかな笑顔が、透けて闇に溶けていく。瞬き一つせずに、オレはその姿を瞳に焼き付けた。
「……またな、国広」
満月が照らす夜の庭に、パタパタと尻尾を振って見上げる犬と、優しげなまなざしで見下ろす付喪神だけが残っていた。